いい加減イライラしてきたのでブログに書いてみる
元々温厚であまり人には腹を立てないほうだと思うが
ただ最近の行動には目に余るものがある。
我慢できなくなる日が来るだろうなー
わからない人の地位の低さ
会社に感謝するという偽善
どうも、デンスケ@ゴロゴロ中です。
先日とある人に、デンスケはXX(前所属してた会社)に「感謝だなー」と言われ、その場は、「そうですねぇ」なんて返してたんだけど、正直、会社に感謝する必要は無いだろ、と思うわけ。所詮会社なんてタダの箱なわけで、給料だって、仕事の対価として貰ってるわけだし、勿論それに対して感謝するなとまでは言わないけど、それは仕事してくれてありがとう、給料くれてありがとうってお互い様の話であって、一方通行の感謝ってないんじゃないの。
危険思想の始まりなり
なんでこんな事をあえて言うかといえば、この思想は危険だなと思うから。会社が何かしてくれる、それこそ神か仏と勘違いしてませんかって。会社は箱で、そんでこの箱はただ合理的に利益を得て、とりあえず存続しようとしてるだけなんで、別に一社員のことなんてどうとも思っていませんよって。更に言えば、別に会社って生き物でも無いんで、感情ないし、それはその時に社長とか、色んな人の意見、想いの集まりがそういう形を見せてるだけだよって。
だって結構見るんよね、会社に感謝してますって人。そしてそういう人は例外なくいい人で、仕事も出来たりする。で、こっからは予想だけど、そういう人はデンスケみたいな考えを持つやつを見るにつけ、性根の曲がった奴とかって思ったりするっしょ!?そんでもし会社にリストラされたり、不遇な扱い受けようもんなら、感謝どころか会社のこと恨んじゃうんじゃないのかね。
感謝するときは人に対してすべき
でも感謝することがダメって言ってんじゃないよ。感謝は仕事を手伝ってくれた同僚だったり、やり方教えてくれた上司、先輩、一緒にプロジェクトを回したどっかの部署のなんとかさんみたいに、まずは目の前にいるステークホルダーに惜しみない感謝をするべきと思うんよね。だから仮に退職するって時にも、会社にありがとうではなくて、お世話になってきた人達にありがとうでしょ。
とまぁ、ちと思う所あったので書いてみました。
自分の足で立てる男になりたいと思う今日このごろです。
わっしょい
人生の岐路に立つ
どうも、デンスケ@悠々自適の転職生活です。
結局転職の事はほんと~にたまにしか書いてきませんでしたがそろそろ終わりになりそうです。ただ2社から内定を貰いまして、どちらを取っても何とも何ともな、五分五分の感じでして非常に難しい決断を迫られております。それでもどちらも面白そうと思えるポジションではあり、人生二回あるか、体が二つあるなら是非とも両方経験したい、そう思えるモノです。 ただ実際問題そうではないので、選ばなければなりません。
もうちょっと分かり易くここに行きたい!!と思える就活にしたかったですが、なかなか人生そう上手くはいかない所が人生が楽しい所以でしょうか。
比較項目は色々ありますが、簡単に言うと以下の感じ。
A社:
長所:全社サービスを見れるポジションで、Web、アプリ関連でなので今後の自分のスキルの広がりを考えても面白いかなと思える。
短所:個人的に戦略を数字上で見てるだけの業務は好きでなく、実際に手を動かして体を動かしたいので、オフィスにずっとこもってしまうのは飽きそう。出張とか転勤とかの可能性も残したい。
B社:
長所:サービス自体は洗練されたものでなく泥臭い事が多々ありそうなモノだが、それこそが自分の求めていたものではと感じる。業務範囲も多岐に渡り、戦略から現場の管理まで何でも出来そう。出張、海外勤務なんかも普通にある。
短所:あまりにこれまでの経験と異なるのでめっちゃチャレンジング。出張とか海外勤務も頻度、場所を考えると、家庭持ちでどこまで対応出来るかがちょっと心配。
これだけ書くとBは面白そうだし、今までのデンスケだったら行ってまえ!だったんですが流石に人生かかってるし、あまりに二社の内容が違いすぎててちょっとむずかしい。A社だってこれまでやってた業務とはだいぶ違うし、面白そう、チャレンジグ度合いではそこそこあるし。
いっそのことめっちゃ条件に差をつけて貰って、選びやすくしてくれたら良いのに、そうでも無さそう。
ということであと一週間くらいかな。じっくり悩ませて貰いますか。
まぁ選べるだけ良しとしましょう。
わっしょい
細部に拘る大雑把な人間になりたい
どうも、デンスケ@大雑把さには定評があります。
舟を編む、を読みました。本屋大賞まで受賞したベストセラーってやつだし、映画化もされてるんで結構多くの人がその内容について知ってるんじゃないですかね。内容は簡単に言うと辞書編集部における辞書編纂作業って感じで、なかなか馴染みが無いものの、言葉の面白さ、深さに気付ける作品であります。
作品自体の面白さは、正直まぁまぁッて感じ。もう少し硬派な作品を期待してたので、全体的にライトノベル的な書きっぷりとか、いきなり時間が経過しちゃったり、各登場人物の描写が薄かったりしたのでいまいち感情移入は出来なかったところが気になったは気になったりするものの、要所要所でぐっとくる表現があったり、ほのぼの系なので気分転換に読むにはちょうどいいボリュームです。
そして思ったのが、
細かな描写を疎かにしてはいけない
これです。ちょうど最近自分の欠点である、大雑把で物事を気にしなさすぎる点が気になっておりまして。この作品は辞書を作る過程を追ってるので、結構言葉の定義の難しさが出てきます。例えば「右」とか。これを説明しろと言われても、左じゃない方とか思いついちゃったり(実際辞書ではXXで無い方みたいな言い回しは使われるらしい)するけど、なかなか説明できない。
単純に意味が難しいだけなら良いけど、結構使い方が曖昧な日本語とかあって、人が使ってても、この人間違った意味で使ってるよーみたいな事って往々にしてありますからね。勿論自分だってあるし。例えば「愛」とか。難しいやね。これは哲学ですなー。
まぁそれは良いとして、デンスケは色々と話しをざっくり捉えて理解するんで、細部をあまり意識しない。そんで結構生きてるとざっくり問題を捉えるって能力も重要は重要なんで、ほとんどそれで済んじゃうってこと。でもやっぱり細部に拘らないといけない時々ってのは絶対にあって、そこに頭いい人と、そうでない人の違いが出てくると思う。頭いい人って、ホント細かい数字とか、言い回しとかまで覚えてたりするけど、あれマジで羨ましい。デンスケはそれが出来ないので、結果として過去の出来事に対する執着が薄く、あまり覚えてない。
そして思ったのです、これは人生損をしておるぞ、、、と。
人生は平等な密度ではない
って、要はそういうことですな。つまり細部を疎かにせずに生きてる人は、より濃密で、深い人生を生きているのではということですよ。それはそれは面倒だと思いますよ。たかだか少し表現が違うだけで気になったり、そこで意見の対立があれば衝突がおきるわけです。
でも生きるってのはそういうことでしょ!?
議論を交わすのはそういうことでしょ!?
そしてデンスケはそういう生き方をしていない。それはそれで楽です。世の中を楽観的に捉えて、シリアスになったりはしない。勿論深刻な問題が起きるレベルまでは精度を落とさないから、深刻な問題にも遭遇はしない。でも流石に良い年になってきたのでもう少しじっくり人生生きてみたいなと、まるで仙人の様な思いに駆られてしまいました。
とりあえず人の名前、作品の中身(本、音楽、英語など)、言葉の使い方辺りを流さずにじっくり噛みしめてみたいと思うわけです。
と、またふんわりした書きっぷりになってくるあたりが、デンスケがデンスケたる所以なのですが、こればっかりは一朝一夕にならず。
気長にいきませう。
わっしょい
アホに寛容な社会を求む
最近2人の強者と会った。
二人とも会社の代表を務める方。まだ規模の小さい会社ながら、これからやっていこう、困難を突き抜けていこうと言うイケイケどんどんフェーズだろうか。一社はどちらかと言うと、設立からそれなり時間経ってるからちょっと違うかもだけど。
二人の言う所を簡単にまとめると、デンスケのこれまでの行動、決断は非常にその場限りのもので、かつ今後の道の決め方もそれに近いものがあり、新卒ならまだしも、もうそういうフェーズではないと。
ええ、ごもっとも。
でも腹落ちはしない。
それ以上に住む世界の違いを感じるのだよ。
勿論指摘された点は正しく、自分としても問題意識を持ってる(だったら準備してけって話だけどね)。ただ恐らくこの人達に私の悩みの本当のところはわからないし、わかろうともしないのだろうということ。
彼らはある意味正論を突き詰め、普通のレールの話を繰り広げる。いわゆる成功とは利利益を上げたり、多くのユーザーを集めたり、面白い、画期的な商品を世に出すこと。みたいな。それらを否定する事が難しいように、キャリアとは格あるべし、のように議論を展開する。
そして多分こういう人達は中途半端に頭が良いだけに出来ない人の事がわからない。
思うのはこういう人種と私の様な人種って(実際にはもっと階層化されてて色々な種類がいる)明確に違ってて、それこそ性別、国籍みたいな違いと同様(はちょっと言いすぎだけど)、違う人間として登録というか認識されるべきなんじゃないか。だってお互いがお互いを理解できない部分があるんですよ。これってまさに男と女、日本人と外人みたい所に似てるでしょ。
世の中色んな人がいて、色んな価値観があって面白いんだよなんて言うけど、人間そうそう異なる価値観の人間を受け入れらるほど大した生き物じゃないということなんでしょう。
わっしょい
家族の在り方、教育の在り方ってのは結局コミュニケーションなのだと。
どうも、デンスケ@あまりにご無沙汰しすぎてキャラ設定を忘れました。
最近は色々と書くことがありすぎ、かつ時間が自由になっているようでなっていない状況でして、なかなかブログなんて更新できないわけですが、やっぱり書き続けないと自分の思考すら満足にコントロールできない気がして、またこうして筆を取るわけです。
ということで。とりあえずネタだけ備忘録的に書いておこうかと。
ーイラッとした時の人間の反応と感情のコントロール
ー家庭の中での教育
ー学校における教育
ー夫婦間のコミュニケーション
ー家族間のコミュニケーション
ー家庭内の雑務の効率化と、それをするための意識改革
一つでも複雑なのに、もりもりと膨らむこの気持ち。せめて共有できる人がいれば良いんだけど、この辺の話題はデリケートすぎて家族では駄目だし、友人にする話じゃないしな。同じ境遇にいる人がいいんだけど、なかなかそんな人はいない。
もう少しねってみるべし。
わっしょい